(2015/10/06にブログにて掲載された
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明日10月7日でバラの家 楽天店が10周年を迎えます。10年ひと昔といいますが、10年前は僕は32歳。まだまだ若輩者ですが、後厄中の身としては、ほんとうに若かったなぁ という思いしかありません。10年も経つと本当に時代は変わっていってしまうのです。
思えばその頃は、会社も自分自身もどん底な時期を数年過していまして、今まで当たり前のようにやってきたことが、どんなに努力しても採算が合わなくなっていくスパイラル。世界中の資源価格の高騰の始まりと、世界中からの切りバラが自由に入ってくる時代の変化に、ただただ翻弄された辛い時期でした。
花なんて人が生きる上で不可欠でないものは、少数のマイノリティが行う産業は、政治も社会も誰も守ってくれないという現実を、目の前に叩き付けられた時でした。でも、おかげで強くなれました。誰も守ってくれないのなら、自分自身で立てるようになればいいんだと。どんな時代が来ようとも、自分が守りたいものを守れる強さを持てるようになろう。そう、その時心に誓いました。
2005年のお正月頃だったかな?伊豆のところてんやさんが、廃業寸前だった家業を、楽天さんに出店することによって、ダイレクトにお客様とつながれることにより、奇蹟的に復活したというテレビ放送を見ました。2000年よりも前から、次の時代はネットなんていうテレビや記事を見てきましたが、目の前の忙しさにかまけていて、自分自身の尻に火がついて、本気で考え始めました。このままではバラの仕事が出来なくなる…
パソコンすら、まともに触ったことがなかった僕でしたが、楽天さんで教えてもらって、ネット販売で頑張ってみようと素直に思いました。もちろん家業ですから、社長だった父に楽天出店を提案して、「なら、やってみれば」って意外とすんなり受け入れられた、それだけのあっさりした出店でした。
その頃会社自体も厳しかったものもあり、また自分自身で提案し、言い出した新事業だったので、「お前が出せ」とは言われていないものの、自分自身の退路を断つためにも、最初にかかる経費は自分で出しました。パソコンや、楽天へ通う為の交通費、教材費、先輩店舗さんに教えてもらいながらの交際費など、すべて自分自身でお金を出したものです。また商品を仕入れに行った時も、経理で今月は厳しいとか言われると、領収書を経理に出さずに、そのままゴミ箱に捨てたものです。どんな苦しくても、絶対にこの事業を軌道に乗せようって、それだけの為に生きていた時代でした。
改めてですが、みなさんご存知ですか?バラの家楽天店は バラ苗を販売するために出店したお店じゃないってことを?
実は家業の切りバラをネットで販売するために、楽天へと出店したのがそもそもの始まりなんです。じゃあなんで、今はバラ苗専門店なの?と聞かれると、まあ話は長くなりますが、簡単にご説明します。
切りバラ農家の息子に生まれましたが、自分はあまり切りバラが好きでなく、自分が中学生の頃、父が切りバラでガーデンローズを作り始めたのを見て、「なんて綺麗で香りのよいバラがあるんだろう!」そう思い、バラの魅力にはまって行った過程があります。もしかしたら、ガーデンローズがなかったら僕は家業を継いでいなかったかもしれません。家業を継いですぐに京成バラ園さんから大苗を仕入れ、ガーデンローズ部門を店の片隅で始めました。たぶん最初は20本くらいだったかな?
そして鈴木省三さんの本を読み漁り、国内の本だけではバラの交配親などがわからないので、銀座とかに行っては洋書のバラの本を買って、最後は文字データだけですが、Modern Roses を見ては、交配親をどこまでも遡ったものです。そんな事を行いながらも、自分を育て食べさせてくれているのは切りバラですから、しっかりと切バラ栽培の勉強もしました。
化成も有機も単肥で配合し、その肥料の割合により、バラがどんな風に姿を変えるのか、薬剤はどんな風に効果があるのか?そして時にダメージを与えるのか?それらの蓄積により、家業ですから私の名前ではないですが、自分が受け持った温室のバラが、
切バラの全国品評会で第一席を受賞することもありました。活力剤等も民間療法も、何もかも怪しいことまで色々やりました。
そしてうちの家業は農家ですが、市場だけではなく、お客様に直接販売するのは当たり前という家風だったので、切りバラを花束にしたりアレンジメントしたり出来るのは当たり前で、結婚式の壇上のメインやブーケなどもやっていましたし、時には六本木の花屋さんで修業させて頂いたこともあります。本当はガーデンローズがやりたかったけど、まずは本業をきちんとやらないといけませんから…
そんな本業のかたわら、ガーデンローズ部門も少しづつ販売本数を伸ばしていきました。もともとなかった部門ですから、自分自身で自由にやれて楽しい思い出しかありません。二十歳すぎには兵庫の確実園さんともつながりが持て、ガーデンローズを仕入れさせて頂きながら、前野さんにガーデンローズの育て方を教わったものです。ですので、僕は切りバラの栽培を父に教わり、ガーデンローズの栽培や接ぎ木等を前野さんに教わり、バラ栽培では二人の師匠がいます。
そして楽天さんへ出店するころには年間の販売量が2000本くらいになっていました。ハイブリッドティにフロリバンダ、つるバラ、オールドローズ、イングリッシュローズと、たぶん埼玉の東部ではかなり品種数を揃えていたお店かもしれません。ただ本業の切りバラが忙しいので、春に売り切ってしまい、次の入荷は秋冬の大苗と言う感じで、年間を通して在庫は持っていませんでした。そんなバラの少数の在庫を、バラの家楽天店に登録したのが、思いもよらない、自分自身のチャンスとなったのです。
本業をやりながらですから、開店までに4〜5カ月かかり、2005年10月7日晴れてバラの家楽天店オープン!さあ、バラの花束やアレンジメントをガンガン販売するぞ!そう思い、意気込んで開店を迎えたことを思い出します。そうしたら… 思いもしなかったことが起きました!最初の注文が入り、何が売れたのかを見たら、モッコウバラ3本 兵庫県 岡様 今でも鮮明に覚えていますが、あんなに準備してページを作ったバラの花束ではなく、ガーデンローズが売れたのを見て、えっ?!なんでモッコウバラが売れてるの? えっなんで?そんな不思議な現象がその後も続きます…
バラの花束を販売するために、力を入れて切バラをセールしますが、安定して売れるのはガーデンローズ…
頭をひねりながらも、数週間すると僕の脳内に、とある思いがはっきりと芽生え始めます。「いや、これ、 俺がやりたいガーデンローズの流れがくるな…
無理して切バラ販売するより、自分が本当にやりたい仕事、ガーデンローズの仕事をしよう!」その時の、バラの女神のささやきは今でも僕の脳髄を支配しています。
そう思ったら展開は早かったです。毎晩のように新聞配達の原チャリのエンジン音を聞いて、そろそろ仕事を終わりにしなといけないなと、新たな時代を作っていく感覚と、自分が本当にやりたかった仕事ができる喜びとが混在し、かなりハードで休日がない日々でしたが、いっさい疲れは感じませんでした…
あれから10年…
切りバラの本業をやりながらですから、夜になってたった一人、本業が終わってからパソコンを立ち上げ初めたバラの家楽天店が、今では平時で50人、繁忙期で100人を超える大所帯になりました。今はあの頃ほどの無理はしていませんが、休日はいまでもなく、毎日バラの仕事をしています。たぶん、人は本当に好きな仕事をしていたら休日はいらないと思います。本当に好きな仕事がストレスも解消してくれるから。こう書くと真に受けすぎて、「本当にお好きな仕事出来て良いですねぇ〜」って真顔で言う方いますが、もちろん仕事ですからストレスはかなりあります。
一番酷いころは月末に、取引先の会社に支払うお金が数千万円足りないって頃も…
夜になって布団に入りながら「どうやって払おう?どうやって支払いをまってもらおう?」個人のお金だけで解決できるレベルになく、時には自暴自棄になりかけた時もありましたが、そんなストレスを取り除いてくれたのも、バラだったのです。どんなに辛いことがあっても、バラを見てその香りをかげば、僕はストレスがなくなり、活力が湧いてきて、絶対にこの困難から逃げない! 絶対にこの状況を変えてみせる!そう思ったものです。
と同時に自分が販売しているバラと言うものは、ただ植物としてこの世に存在しているだけでなく、つらい日常から、人々を癒しの非日常へと誘ってくれる生命なんだと感じたのです。そんなバラを広める事が出来たらなんて幸せなんだろう…そんなバラを安心して購入できるお店を作ろう…そう思ったら、あとは駆け抜けただけの10年間でした。
なんだか10年振り返ったら多弁になってしまいました…なんだか真面目すぎる話をしてしまいました。
なんだかまとまりませんが、続きは
No.2に。
バラって最高!
Rose Creator 木村卓功